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桜区
 
 
   
       
              
 
 
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桜区の歴史・観光
 住まい探しを始める準備の一つとして、これまで住み続けてきた家の建替えや、其々の地域に土地勘のある方は別として、新たに新築一戸建て購入を考えている方の前情報として、その地域の歴史や先人たちの日々の暮らしぶり、そして、住環境等を知っておくことも大切なことだと思います。

そのため、各地域ごとに先人達の足跡を調べられる限り書き綴ってみました。

少しでも家探しの参考にしていただけると幸いです。
     
◆歴史探訪!

桜区はさいたま市内南西部に位置し、大久保地区と土合地区の一部からなっています。

大久保地区の由来は、明治二十二年、上大久保村、下大久保村、五関村、植田谷領領家村、植田谷領在家村、塚本村、宿村、神田村、白鍬村の九か村が合併する際に、新村名は上大久保村と下大久保村が九か村の中で大きな村なので、「上」・「下」の文字を取って「大久保村」という名称に決められたということです

土合地区の由来は、明治二十二年、南元宿村、田島村、鹿手袋村、西堀村、関村、与野領町谷村、新開村、栄和村、道場村、中島村、山久保村の十一か村が合併し、十と一が合わさったことから名称が、「土合村」
と名づけられたとのことです。

『当時も、洒落のわかる人が多く住んでいたんですね。』 
(^^♪


5世紀後半から7世紀にかけて、白鍬地区や西堀地区など各所に多くの古墳が造られました。

律令体制下において足立郡は七つの郷からなっていたといわれ、このうち「大里郷」「殖田郷」などが現桜区周辺にあったとする説もあるそうです。

また南北朝時代以降、大窪郷という集落があったとされ、現在の「大久保地区」の地名の興りとなったとされます。

鎌倉時代の大久保地区を鎌倉街道が通じており、現在も県道215号線として当時の道が残っています。

この鎌倉街道が入間川(現在の荒川)を渡る地点が羽根倉であり、羽根倉橋の名前に当時の名が残っています。

大久保領家遺跡
堀が発見された現場は新しく家が建っています。近くの大泉院は足立郡を統治した春日行光の開基で、一族の墓(市指定史跡)があります。

平成十五年四月、さいたま市が全国十三番目の政令指定都市となり区政が布かれ大久保地区と土合地区を基盤とした「桜区」が誕生しました。

区名は、荒川河川敷 秋ヶ瀬公園の南側(田島が原)に日本でも最大級の
『国指定特別天然記念物サクラソウ』の自生地があることに由来します。

埼京線、武蔵野線の開通により、都心へのアクセスの良さから、近年都心のベットタウンとして大きく躍進しています。

埼京線南与野駅前の区画整理も完成に近づき、駅前には大規模な都市型公園もでき、新しいスタイルの駅へと変貌をとげています。

更に区内道路の拡幅工事、新たな道路新設整備などが着々と進み、更に大きな都市へと発展する姿を見せています。

桜区役所内には、区民の憩いの場として開設された、地域の中核施設「プラザウエスト」があります。

客席数402席を誇る「さくらホール」や謝恩会や懇親会、規模の大きな会議や研修会などに利用できる「多目的ルーム」は多くの利用者に活用されています。
楽器の練習が可能な「音楽スタジオ」、陶芸・造形・絵画など目的に応じたアトリエなど、文化的な活動を行うにはとても便利な設備が整っているスペースです。

またプラザウエスト内に併設されている桜図書館は、さいたま市内で20番目にオープンした新しい図書館で、蔵書数が16万冊超、CDやDVDなどの視聴覚資料が1万5,000点超を揃えています。

また、館内で公衆無線LANが利用できたり、人を介せず貸し出しの手続きができる自動貸出機が設置されているなど、最新鋭の設備が備わっているとても利用しやすい図書館、区役所として人気があります。


休日にも開館していますので、是非一度訪れる価値があると思います。

自習スペースが充実しているため、また、埼玉大学のすぐ近くということもあり、頑張り屋さんの埼大生がたくさん利用しています。

秋ケ瀬公園内の荒川河川敷に、熱狂的ファンで知られる浦和レッズが運営するレッズランドがあり、たくさんの利用者で賑わっています。
  • ◆観光スポット!

  • 秋ケ瀬公園

  • 荒川に架かる羽根倉橋と秋ヶ瀬橋約3kmの左岸一帯に広がる広大な自然公園が秋ケ瀬公園です。

  • その昔この一帯にもたくさんの住宅がありましたが、荒川の堤防強化工事に伴い、皆さん堤防外に移転されその後には緑豊かな大自然が形成され広大な秋ケ瀬公園が生まれました。。

  • 園内は芝生の広場や木々に覆われた散策路、池など自然がいっぱい。家族連れで大変賑わっています。(敷地面積/100haです)
  • 秋ケ瀬公園は、まさにさいたま市のグリーンベルト地帯になっています。
  • 休日には新鮮な森の空気をいっぱい吸って、仕事の疲れを癒してみては如何ですか。。

    サクラソウ公園

  • 荒川にかかる秋ヶ瀬橋の南側にある河川敷に広がる4.1haの草原で、約150万株のサクラソウやノウルシなど約250種の野草が自生しており、国の特別天然記念物に指定されています。


    他の野草とともに点在する自然のままのサクラソウの可憐さは、きっと見る人の心に安らぎを与えてくれると思います。

サクラ草の開花シーズンには、手作りお弁当で是非ピクニックに訪れて下さい。

きっと寛いだ楽しい時間を過ごして頂けると思います。



桜区地名の由来(桜区ガイドブックより)

   
五 関 ・・・ 五関の名は五堰の意で、ここでいう関とは用水のための堰だと言われ、川端、稲荷、水入、川面、千貫の五ケ所であると言われています。
 
塚 本 ・・・ 古墳が多く存在したことに由来すると言われ、現在も古墳時代の塚山古墳と神明寺古墳があります。
 
大久保
(上下)
・・・ 大久保いうのは大宮大地と武蔵野台地の間の広い窪地にあったらしく、昔は大窪と書いていたようです。
江戸時代に大久保村が分村して、上大久保村・下大久保村が誕生したそうです。
 
大久保
領 家
・・・  地名は、荘園領主(領家)に由来があるようです。浦和市に合併するまでは領家でしたが 、市内(現浦和区)に領家という地名が存在するため、大久保領家という名称になったとのことです。
   
 宿 ・・・ 近村の道場村に畠山重忠の館があった頃、当地も賑わい、家が軒を連ねた宿のようであったことによるといわれています。
   
在 家 ・・・ 中世の頃、荘園内の屋敷とそれに付属する田畑のことを一般的に『ざいけ』と呼んでいたことによるよるようです。
   
神 田 ・・・ 当地が往古伊勢大神宮の神領であったことに由来するということです。
   
白 鍬 ・・・ 古くは白桑とも書いたようです。地名に白という文字が入っていることから、新羅系の渡来人によって開発され、古墳が築造されたのではないかという説もあります。
   
栄 和 ・・・ 明治10年、当時の千駄村と西連寺村が合併し、栄和村が誕生しました。
和して栄えるようにと未来の繁栄を念じての命名と言われています。
   
町 谷 ・・・ 道場村の畠山重忠の館があったとき、城下の町屋(商家があるところ)があったことに由来するようです。
     
道 場 ・・・ 鎌倉時代に畠山重忠が土中から観音像を得て道場(寺院)を建てたのが村名の起こりと言われています。
この道場が当地の金剛寺と言われています。
     
新 開 ・・・ 安土桃山時代の1590年に岩槻城が落城し、その旗本が浪人となりここで新たに一村をを開いたことによるそうです。
   
田 島 ・・・ 水田の中に島状の畑がたくさん点在していたことから呼ばれた地名だそうです。
      
南元宿 ・・・ 明治12年北足立郡内に2つの本宿村があり、南にあった本宿村なので南元宿村に改称したとういう説と、荒川が氾濫し川止めになったときに宿場となったことに由来するとの2説があるそうです。
     
中 島 ・・・ 周辺は沼地で、この辺が島状の地形であったことによる地名と言われているそうです。
     
西 堀 ・・・ 西堀には高沼用水があり、この用水を指しての地名か? また平安時代のさいたま市南西部は堀津郷といわれていて、西堀にその名残を見る人もいるそうです。
     
桜 田 ・・・ 昭和60年8月の住居表示改正により西堀から桜田にかわりました。
近くに桜や田んぼが多かったことからの名前になったとのことです。
旧堤防沿いのソメイヨシノ満開シーズンに、是非お花見に訪れてみて下さい。
   
山久保 ・・・ 山久保の地形は、鎌倉時代以前より土合地区では最高の高台であり、通路が八方にあるような特異な形態で、城もあったようですが地名についての由来はわからないそうです。
     

 

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埼玉県さいたま市桜区道場2丁目9番5号